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2020年 10月 11日 私の秋学期の勉強について

こんにちは、早稲田大学文化構想学部2年、朽木詠祐です。

金木犀の香りを感じる前に冬になってしまったかのような寒さが続いていますね。受験生の皆さんは、体調管理にはくれぐれもお気を付け下さい。

さて、今回のテーマは「私の秋学期の勉強について」ということで、私の大学での勉強についてお話しをしようと思います。

その前に、過去に僕の通っている学部について語り尽くした投稿があるので、そちらもこの機に目を通していただければ幸いです。

    『文化構想学部での学びについて』click here!!!  こちらから飛べます。

 

そして本題ですね

今回ご紹介するのは『身体論』についてです。

 

『身体論』って言われてもピンとこない人が大勢いると思います。僕もその一人です。

ホントにとってもざっくり説明します!↓

まず、この世の中には哲学というものがあります。答えのないものについて思考を巡らせ新しい価値観を見出したり、常識を疑ったりするアレです。

そんななかで、ある有名な哲学者がこの世のあらゆるものの存在を疑ってかかるのですが、最終的にこの世のものを疑っている私の存在は確固たる存在、それ以外は本当に存在しているか不明。という結論に至ります。その時、残念なことに、私の心は確固たる存在だが、身体は物だから本質かどうか分からない、とジャッジされてしまうんですね。それ以降、身体は心よりも下位の存在として扱われるようになってしまったのです。

しかし、19.20世紀になって、身体性の復権運動が行われます。そして、我々の身体の意味や価値を問う諸々の問題を色々まとめて、「身体論」と呼ぶようになるのでした。

 

これが結構楽しいんですよね、本当人間の本質は精神だけで、身体が従属物だとすると、自分の身体がぐちゃぐちゃのスライムみたいな見た目になったとしても、確固たる自我を保てるということになりますが、想像してみるとそんなはずありません、何なら、顔の皮を一枚べろっとはいだだけでアイデンティティが喪失しそうな感じまであります。

そんな私たちに最も次回ところにある身体について哲学的に考察する身体論は、複雑な現代社会を生き抜くためのヒントになるのではないでしょうか。

身体論に興味がある人、文化構想学部で待ってます。

Vale!

 

 

 

 

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